licoのわらえば

なんとなくな日常と気のむくままの創作雑記

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サンタが町にやって来る

 あ、サンタじゃないや、Sだ。まあ、イニシャルが同じだからいいか(笑)。なんとも季節はずれなネタだけれど。

 MGのお母さんのSが、家族とともにイースターを祝うため、避寒地のフロリダからマサチューセッツに一時帰郷してきた。御年84歳。私のアメリカ滞在日数が伸びたのは、実はこれが理由だったりする。彼女に会わずして帰るわけにはいかない。なにせSは、私の養母も同然なので。

 はじめてSに会ったのは、留学のために渡米したまさにその日。彼女は私が入居することになっていたアパートのオーナーで、空港からバスを乗りついでやって来た私を最初に出迎えてくれた人でもある。そこで例のスーツケース騒動が起きるわけですね(苦笑)。

 彼女の所有するアパートはビクトリア朝様式の大きな一軒家で、ホリヨークという町にあった。いわゆる部屋貸しで、シャワーとトイレは共同。数ヶ月ほどそこで暮らしたけれど、正直、最後まで好きにはなれなかったな。古い建物でね、蛇口から真っ茶色の水が出たり、コンロを使うたびにガスの臭いが室内に充満したり、階上の足音がホラー映画なみに響いて眠れなかったり、前の通りでドラッグの売買が行われていたりと(苦笑)、まあ、いろいろ問題がありまして。のちに知り合った友人には、「銃も持たないで、よくホリヨークになんて住めるね」なんて言われたっけ。

20120403_Linden St Apt【渡米直後に住んでいたホリヨークのアパートメント】

 そんなわけで、いくらもせずに私はウエストフィールドへ引っ越し、彼女のアパートの住人ではなくなってしまったわけだけれど、以降も付き合いは続いた。若い頃にギリシャから移住してきたSは、異国で暮らす苦労を知っていたのでしょう、「私はlicoのアメリカン・マザーよ」なんて言って、何かと世話を焼いてくれて、常によき相談相手でいてくれて、本当にありがたかったし、心強かったし、彼女がいたから私は少しも淋しくなかった。すごく感謝してる。

 そんなSが賃貸業から引退したのは数年前のこと。所有していた戸建てアパートとコインランドリーを売却し、MAの冬は厳しいからと、冬の間はフロリダに住むようになった。そして今は、MGの話によると、歩くのもおぼつかず、痴呆も若干始まっていて、MAに帰ってきても自宅には戻らず(かつては山間部の大きな一軒家にひとりで住んでいた)、MGの家で過ごすのだとか。正直、会うのが少し怖かった。

 が、MGの車から降りてきたSは、ちょっとばかり背が縮んで前より小柄に見えたものの、それほど老けこんだ様子もなく、満面の笑みで力強く私を抱きしめてきた。足取りもしっかりしていたし、話し方もいたって普通。「早くアメリカ人の男性を捕まえて結婚しちゃいなさいよ。そうすれば、ずっとアメリカに住めるわよ。そうだ、Mでいいじゃないの」とか、いきなりすごいことを言いだして、あーなんかもう、相変わらずだなーと(笑)。もちろんMとはそんな間柄ではない。こうやって私をからかうのが、彼女のお得意なのだ。というか、Mに失礼だから(苦笑)。

 Sは予想よりずっと元気そうだったし、それほど変わったようにも見えなかった。が、話しているうちに気づいた。どうやら耳が遠くなってしまったみたいで、まして私のひどいアクセント、意思の疎通を図るのがやや難しくなっていた。そして、私の言っていることがよく理解できないと、彼女は早々に諦める素振りを見せた。

 何年か前の私なら、なんとなくいやな気分になるか、もしくは傷ついたかも知れない。でも、このときは妙に納得してしまった。歳をとると、わからないことをわかろうとすることが、ひどく億劫になるよね。うちの母にも最近そういう傾向が見られるし、私自身もたまにそんな状態に陥るときがある。相手の口から発せられる言葉が、頭の中でまったくデコードされない感じ? 理解しようと努力するとかしないとか、そういうレベルですらない。すると、ほとんど無意識に聞き流してしまう。

 本音を言えば、ちょっと哀しかった。Sと会話できるのも、これが最後かな、なんて思って。なのに、その後は私の方が気おくれしてしまって、なおさら上手く話せず、彼女との距離は開く一方だった。もっとも、テレビゲームをやめられない小学生みたいに、暇さえあればiPadの麻雀タイタンに夢中になっていた彼女が、そうした距離感に気づいていたとは思えないけれど。それもどうなの?って感じだった。

 とはいえ、Sは私がニューヨークで撮った写真を楽しそうに眺めていたし、PCに入れて持っていった母の花壇の写真にも大喜びだった。彼女もかつてはガーデニングが大好きだったんだよね。留学時代に母が遊びにきたときには、お互い言葉も通じないのに、自慢のお庭を案内しながら妙に意気投合していたっけ。コミュニケーションって言葉じゃないよね。今回も、そうした視覚的なツールを駆使しつつ、最終的にはなんだかんだよい雰囲気になったので、とりあえずほっとした。

 その夜はMGが豪華な夕食を用意してくれて、キッチンテーブルではなく、ダイニングルームでのややフォーマルなディナーとなった。オードブル、スープ、メイン料理、デザートと、MGがひとりで給仕役まで務め、飲み物すら自分で取らせてくれない。これもけっこうなカルチャーショックだったなぁ。家族なのに、まるっきりお客さま扱いなんだもの。よそよそしいほどに。その代わり、後片付けはがっつり手伝わせてもらったけども。

 ちなみに、この日の午前中、Sが到着する前は、相も変わらずレンタカーでひとりドライブに出かけ、クアビン貯水池と呼ばれるダム湖まで足を延ばした。好きな場所のひとつだ。とにかく広い。アメリカでもっとも大きい貯水池のひとつだそうで。きれいなところだけれど、建設に当たっては4つの町を水中に沈めた暗い歴史を持つ。そういう話を聞くと、なんだか切ないなーと思ってしまう。

20120403_Quabbin Reservoir 1_convert20120403_Quabbin Reservoir 2_convert【クアビン貯水池】


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