licoのわらえば

なんとなくな日常と気のむくままの創作雑記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 スポンサー広告

のんびりどっぷり

 ちまちまと読書を続けてます。読むの遅いんだけど。ものすごく遅いんだけど。

 このところ地味に文庫本が増えてきて、なんだかちょっと落ち着かない。困ったな。CDやDVDの置き場所は、いろいろ工夫して何が何でも確保するのだけれど、本のためのスペースは全然考えてなかった。一度読んだ小説を読みかえすということをほとんどしない人なので、とっておくのもナンだよなーと。かといって捨てられるわけもなく。

 やっぱりアレですね、本は読むだけ読んで、貸してくれた人に「どうもありがとう。はい」と返せるのが気楽でいいね。なんて自己中なことを言ってみる。本当は図書館で借りるのがいちばんいいのだろうけど、無理でしょう、読むの遅いもの。返却期限に追われるのもいやだし、そもそも、借りにいくのも返しにいくのも面倒くさい。わがままなやつだ。

 遅読も問題だけど、相変わらず読書時間がなかなかとれない。という話を同僚にしたら、なぜ自宅で読まないのかとツッコまれた。それはですね、際限なく読みふけって、やらなきゃならないことを何もしなくなるからです。たぶん私、普通の人よりのめりこむタイプなんじゃないかと。というか、夢中になるとそれしか見えなくなるタイプ? 頭の中で映画製作はじめちゃうし。完全映像化です。著者の意図したものと違っていてもいいの。妄想の世界ではものすごい想像力を発揮して、画音が勝手にできあがるから。

 そんなわけで、読書はときと場所を選ぶと。昼休みが終わるとか、乗り換えの駅に着くとか、診察の順番がまわってくるとか、強制的に中断しないと、もうちょっと、もうちょっとだけ、と思いながら、切りあげるタイミングを逃してしまう。まあ、昼休み終了のチャイムが耳に入らなかったり、電車を乗りすごしたり、呼びかけられても気づかなかったり、なんてことも多々あるのだけれど(汗)。

 そして最近思うのは、日本のいわゆる人気作家の本って、短編集多くないですか? ここ10年ほど好んで読んでいた海外のリーガルものは、上下巻というのがわりと一般的で、単巻でも当たり前に長編だった。学生時代によく読んだ古典文学も、複数巻が多かった気がする。そのせいか、「短編集」というものの存在をすっかり忘れていた。

 いやまあ、ちゃんと見て買えばいいんだけど、とりあえず著者で選んじゃうから、一作目がいきなり終わってはじめて気づく、とかね。正直、すっごいがっかりする。舞台ができあがったと思ったら、いきなり放りだされる感じ。一昨年、兄に借りて入院中に読んでいた横山も、気がつけば短編集ばっかりで、一話終わるたびに体調不良を思いだしてベッドに沈みこんでいたっけ。

 同じ理屈で、つくづく苦手だなーと最近になって気づいたのが多視点の小説。最初からつながりがわかっている分にはまだいいのだけれど、まったく関係のないように思われる登場人物が、まったく関係のないところでまったく別の物語を紡いでいって、最後にうまく交差する、みたいな構成。苦手です。のめりこみかけた気持ちがぶった切られて、まるで入っていけない。要は好みの問題でしょうが。

 ついでに、近頃よく思うのは、暗い小説や重い小説は若い頃に読むべきだった、ということ。元気なときに、あるいはリア充な時期に、と言った方がいいかな。この間まで読んでいた戦時中の物語は、なんかもう暗くて痛くてつらくて、読んでるそばから心が悲鳴をあげていた。いえ、とてもよい話だったのだけれど、主人公にシンクロしすぎて(実際には、そういう時代だったのだから、感じ方も考え方も今とは違うし、シンクロという言い方は正しくないかも)病みそうでした。

 ともあれ、小説ってやっぱりいいなー、読書ってこんなにおもしろかったんだなーと、まるで小学生のようなコメントですが、久しぶりに楽しさを思いだした気がしてます。テクや語彙を盗んでやろうと思って読みはじめても、気がつくと夢中になっていて、そんな目的はすっかり忘れちゃうんだけどね。

関連記事
スポンサーサイト

 雑記

- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。