licoのわらえば

なんとなくな日常と気のむくままの創作雑記

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ストレスフル・デイズ

『One Headlight』の歌詞を調べていて知ったんだけど、The Wallflowersのヴォーカルってボブ・ディランの息子なんだって。という話をしていたら、隣でビリビリ、ビリビリと、いらない紙(たぶん、ダイレクトメールか何か)を破く音がした。あの歌ってさ……ビリビリ、ビリビリ、親友の葬式のシーンからはじまるんだけど……ビリビリ、ビリビリ、なんかちょっと文学的で……ビリビリ、ビリビリ。うるさいな、もう! 何を言おうとしたか、忘れちゃったじゃない!

 なんていう使い古しのギャグみたいな苛立ちを、たびたび感じるようになった今日この頃。ひとつひとつはそりゃもう馬鹿みたいに些細で、どうってことのない小さな苛立ちなのだけれど、積もり積もると、これがけっこうなストレスになる。おかげでまた胃が痛みはじめた。

 先日、兄が退院してきた。「よかったね」の一言ですませられるのは、思いっきりヒトゴトだからだ。兄とはここ十年ほど折り合いが悪くて、数年前、ついに決別し、諸々のストレスからようやく解放されたばかりだった。なのに、半年以上に及ぶ長期入院後の退院に乗じてなんか出戻られてしまった。しかも、脳に障害を抱えた状態で。もともとなかったデリカシーから、さらに「配慮」の二文字が抜け落ち、その空気の読めなさ加減に苛々の連続で、マジでハゲそうです。

 彼の場合、どこまでが障害のせいで、どこまでが本来の性質かという線引きが難しい。母親にスポイルされちゃったもんだから、とにかくいろいろズレている。いちばん険悪だった頃、兄は友人たちにも愚痴をこぼしていたらしいのだけれど、皆さん口をそろえて「そりゃあ全面的にお前が悪いよ。licoが怒るのも当たり前だって」と仰ったという。ほらね、小中学校時代からの親しい友人にまでそう言われてしまうほど、彼はズレているのだ。しかも、自分でそれがわかっていない。

 今は、なんだかだいぶ大人しい。二度、三度と死にかけたせいか、やや人が変わったように見えなくもない。言葉が不自由になってしまったからなおさらだ。もともと博識な人で、口論になったら口じゃ絶対敵わなかったし、それだけにいちだんと嫌味だった。今はそういうところがあまり見られない。でも、本質って変わらないのね。障害のせいであちこち記憶が飛んでいても、現状をよく認識できていなくとも、うまく喋れなくても、自分中心のどこかズレたところは、けっきょくのところ、変わらないみたい。

 不思議よね。主治医の名前や友だちの家は覚えていないのに、パソコンの使い方はわかるみたいだし、今日の日付はすぐ忘れちゃうのに、漢字は人並み以上に読める。そして、食べたら食べっぱなし、使ったら使いっぱなし、出したら出しっぱなしのだらしないところは、嘘みたいに前のまんまで、言ってもどうせ(以前よりさらに)無駄なんだろうなと思うと、なんだかよけいに腹が立つじゃないの。

 って……私ってばホント、いつもいつも怒ってばっかりだ。そういえば、むかし、私のそういう「いらち」なところを、「licoちゃんが純粋な証拠だよ」と評した人がいた。バカにされたような気がして、どこが?と鼻息荒く反論したところ、「人やシステムや物事はこうあるべきだという理想が高くて、しかもそれが実現可能だと信じているから腹が立つんだ」と言われた。いわく、「そういうもんだと諦めていれば腹も立たない」だそうな。そのときは、何じゃそれ!と腹立たしく一蹴したけれど、どうなんだろう、今は彼の言わんとすることが少しわかるような気もする。

 閑話休題。いずれにせよ、理想云々はともかく、障害者になってしまった兄相手に本気で腹を立てるなんて、私ってつくづく優しくないなーとは思う。もちろん、自分を優しい人間だと思ったことなんて一度もないし、いい人間だと思ったこともない。むしろ、冷たい人間だと思っている。いつからそうなったのか、いつそうと自覚したのかは定かではないけれど、少なくともここ15年ほどは間違いなくそんな感じ。

 子どもの頃は、家族間の愛情って本当に無償なんだと思っていた。言いかえれば、無償の愛は家族愛だけだと思っていた。何があっても嫌いにはなれない、家族だから、と。でも、そうじゃなかった。家族だから却ってこじれることもあるし、家族だからなおさら残酷になれる。いざというとき、放っておけないのは事実だけれど、でもきっと、私は兄を嫌いなんだろうなと、今回の一件で思った。あるいは、これまでの経緯や確執を勝手に忘れて、ひとりだけ一抜けしたことに腹を立てているのか。

 この間、地下鉄で兄の遺体を運んでいる夢を見た。死んでるんだけど、周りからはそうとわからないよう、まるで生きているかのように扱わなくてはならなくて、肩を貸して引きずるように歩いたり、座席に座らせたり。もうひとりの同行者は、ものすごく太っていて、何をするにも動作がスローな、歩くのもやっとの女性だった。二人を連れて、私はどこへ行くとも知れず、誰の助けも得られず、大変な思いをして何度も何度も電車を乗り換えていた。そんな夢。

 ブラックですかね。うん、ブラックですね(苦笑)。しかし、笑っちゃうくらいわかりやすい。兄の遺体はそのまんま、自分のことすら自分でできない、何もかもやってあげなくちゃならない「お荷物」を意味するのだろうし、太った女性はたぶん私自身だ。このところずっと体調が悪くて、先月は歩くのもままならなくて、だから、体が思うようにならないという足枷の象徴。

 偶然なんだか無理やりなんだか、現状とこの夢とThe Wallflowersの『One Headlight』の詞が、奇妙にリンクするような気がした。先に述べたように、どこか文学的な匂いを感じさせる詞で、解釈に困るような箇所も多分にあるし、暗いし、ちょっと鬱入っているんだけど、だからこそなのか、例えば、夢なんだか現実なんだかわからないどろりとした空間を漂っているような雰囲気とか、そこから抜けだせないさまとか。それでも、サビの部分は、「とりあえず前に進めば、今よりはマシかも」と少しばかり前向き。

 いや、やっぱりちょっと無理やりだったかな(笑)。ちなみに『One Headlight』のPVはこちら。留学時代にMTVでよく見た。視覚的にとくにおもしろいというわけではないのだけれど、ヴォーカルのジェイコブのブルーグレイの瞳が気になる。

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