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なんとなくな日常と気のむくままの創作雑記

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気遣われているという慰めの問題

 今年1月から難病の医療費助成制度が変わった。調べれば調べるほど謎が深まるこの制度、いちばんの難点は名称なんじゃないかと私は思う。あっちこっちで違う呼び名を目にするので、何と何が同じで、何と何が別物なのか、判断がつかない。同定できなければ、いくら調べてもわかるはずがない。というわけで、私も完全に迷子状態です。

 とりあえずよくいわれているのは、助成制度そのものが広く薄くなったということ。より多くの難病を助成対象とした代わりに、個々の助成内容は手薄くなったそうな。それに伴い、「難病の人は生きていけない」なんてサイトだかコミュだかが目につくようになり、新制度を批判する声もよく聞くようになった。疾患により病態はさまざまなので一概にはいえないけれど、個人的には、「生きていけない」はちょっと煽情的すぎるのでは?と思っている。

 心情はわかる。これまでかからなかった医療費が、今後は月額いくらまでは自己負担ねと言われれば、私だって「えー?」と思ってしまう。とくに、病状がどんどん進行して、悪くなっている場合はなおさらだ。病気のせいで思うように働けないのに、金銭的な負担ばかりが増えるというのは、精神的にもキツい。

 例えば自己負担額が月額1万円だったとする。収入は減っているのに、受診費や薬代で月に1万はほぼ必ず出ていく。ということは、年に12万でしょ。年額なので高額療養費には該当しない。確定申告のとき、10万円以上で医療費控除が受けられるけれど、取られすぎた所得税が若干戻ってくるに過ぎないので、年間の医療費は10万を超える。これ、実は大変なことよね。

 医療費10万強なんて、保険がきいて自己負担3割の日本では、入院や手術でもしない限り、そうそういかないもの。健康な人が60回風邪ひいて60回病院にかかって薬をもらうような額よね。でも、一年に60回も風邪をひく人なんている? それだけの額を、難病患者は毎年支払っていかなければならないわけです。難病というだけでも切なくて淋しいのに、経済的な負担までのしかかってくる。そう思うと哀しくなる。

 但し、これは医者いらず薬いらずの、非常に健康な人と比べたときの話。世の中の大半の人は、年齢があがればあがるほど、どこかしら具合が悪くて、何かしら薬を飲んでいたり、病院にかかっていたりするものです。中には生涯薬を飲みつづけなければならない人もいるし、定期的に受診している人もいる。そういう人たちに助成はない。難病でないからといって、辛くないわけではないのに。

 年末に新しい難病医療券が届き、そこに記載された自己負担額を見たとき、正直、かっとなった。末期状態で、始終体調が悪くて凹んでいるときに、これまでと同じ治療が今後は有料です、続けたいならお金を払ってください、と言われたような気がして腹が立った。が、冷静になって考えてみれば、怒る資格なんて、私にはない。

 年金問題同様、計画性のない政府の方針には辟易するけれど、今までだって、私の医療費は決して無料だったわけではない。私が支払いを免除されていたぶん、誰かが支払った保険料なり税金なりが充当されていたはず。それをありがたいことだと感謝しておきながら、制度が変わったからといって腹を立てるのは、すごく身勝手だ。

 近ごろはとくに、気がつくと自分の病気のことばかり考えていて、そういう諸々の状況をときどき忘れそうになる。幸い私は、自己負担があっても生活に困るほどではないし、「生きていけない」わけでもない。だから言えることかも知れないけれど、より多くの難病が助成の対象になり、より多くの難病患者がいろいろな意味で少しでも救われるなら、制度の改変はありだと思う。

 お金や金額の問題じゃないんだよね。助成制度は、国が、自治体が、難病であっても自分を一市民として認め、気遣ってくれているという証のようなもので、要は心の慰めなのかなと思ったりします。少なくとも私にとってはそうかな。

 という雑記を書いている間に透析がはじまってしまったので、私が受けられる助成の種類も変わってしまいました。また一から調べ直し。そして、こちらはますます謎で、またも迷子……(汗)。とにもかくにも、こうした助成に対し、常に感謝だけは忘れない自分でありたい。

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